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【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
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【歴史・一日一話】2009.05.12 第734話 キュリー夫人がラジウムを発見
配信日:2009年05月12日
【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
第734話 キュリー夫人がラジウムを発見
1898年(明治31年)5月12日、キュリー夫人がラジウムを発見
しました。
キュリー夫人は、マリヤ・スクウォドフスカ=キュリーといい、ポーラ
ンド出身の物理学者・化学者です。
フランスのソルボンヌ大学を卒業し、夫のピエール・キュリーともに、
大量のピッチブレンド(瀝青ウラン鉱)の残渣(ざんさい)からラジウ
ムとポロニウムを発見しました。
1903年(明治36年)、夫婦でノーベル物理学賞、1911年(明
治44年)、彼女だけでノーベル化学賞を受賞しました。
彼女は女性として史上初のノーベル賞受賞者であり、物理学賞と化学賞
を受けた唯一の人物です。
そして2度のノーベル賞受賞は、『人物』としては最多記録です。
彼女とその一家は科学の歴史に名前をとどろかせています。
彼女が物理学賞と化学賞、夫ピエールが物理学賞、娘夫婦がそれぞれ化
学賞を受賞しています。
つまり、一族4人でノーベル賞を五つも受賞しているのです。
彼女の功績をたたえて、放射能の単位に『キュリー』が付けられていま
す。
また、パリ大学のキャンパスにその名が残されています。
夫ピエールの事故死の後、夫の弟子の物理学者ランジュバンと恋愛関係
にあるとマスコミに書き立てられました。
彼女の科学者としての名声にも関わらず、科学アカデミー会員に選ばれ
る事はありませんでした。
フランスの外国人嫌いの犠牲になったといわれています。
1934年(昭和9年)5月、体調不良で療養所に入院しました。
同年7月4日、長年の研究の影響による白血病で死去しました。
66歳でした。
遺体はパリ郊外のソーに埋葬されましたが、1995年(平成7年)、
夫のピエールの遺体と共にパリのパンテオンに改葬されました。
二人はフランスの偉人になったのです。
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■【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
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(第734話)(2009年05月12日号)
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