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【歴史・一日一話】2011.03.15第1379話 醍醐の花見。豊臣秀吉、最後の晴舞台

配信日:2011年03月14日

【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
第1379話 醍醐の花見。豊臣秀吉、最後の晴舞台

慶長3年(1598年)3月15日、豊臣秀吉が京都の醍醐寺(だいごじ)
において、豊臣秀頼、北政所、淀殿ら近親の者とともに、花見の宴を開催し
ました。

近親者だけでなく、諸大名、その配下の者など約1300名も参加しました。


その日の輿(こし)の順が記録に残されています。

それによれば、最初が秀吉の正室の北政所、二番目に淀殿、三番目に松の丸
殿、四番目に三の丸殿、五番目に加賀殿という秀吉の側室が続きました。

その後には、秀吉が織田家の家臣であった当時から長くつき合いのある前田
利家の正室・まつ(後の芳春院)が続きました。

宴会の席では、正室である北政所の次に杯を受けるのを淀殿と松の丸殿が争
い、まつがその場をうまく取りおさめたという話が伝わっています。



応仁・文明の乱のあと荒れ果てていた醍醐寺を復興した中興の祖、第八十代
座主である義演准后(ぎえんじゅごう)は、豊臣秀吉の帰依を得て良好な関
係を築いていました。

しかし、義演准后は秀吉の最期が近いことを感じていました。

『英雄』の最後にふさわしい大舞台をしつらえるために、あちこちにそれと
なく手配をしてこの醍醐の花見を催させたともいわれています。

事実、半年後の慶長3年(1598年)8月18日、秀吉は死去しました。

古今東西の多彩な献上品やアトラクションが供せられました。

その一方で、諸大名の間では秀吉亡き後の政権のあり方について、さまざま
な駆け引きや腹の探りあいがあったでしょう。



秀吉が『醍醐の花見』に浮かれている時、前年から再開された朝鮮出兵では
日本軍が朝鮮軍、明軍を相手に朝鮮半島南部で苦戦を強いられていました。

将兵の苦労など忘れたかのように、秀吉は人生最後の晴舞台を堪能していた
のでしょう。

醍醐寺では、現在でもこれにちなんで毎年4月の第2日曜日に『豊太閤花見
行列』を催しています。


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