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【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
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【歴史・一日一話】2009.05.17 第739話 江戸幕府が平戸のオランダ人を長崎の出島に移住させる
配信日:2009年05月17日
【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
第739話 江戸幕府が平戸のオランダ人を長崎の出島に移住させる
寛永18年(1641年)5月17日、江戸幕府が平戸のオランダ人を
長崎の出島に移住させました。
出島は、当初はポルトガル人を住まわせる目的のために作られました。
寛永11年(1634年)から2年の歳月をかけて、長崎の有力者に作
らせたのです。
扇の形は貿易の発展を願う『末広がり(すえひろがり)』の縁起をかつ
いだといわれています。
ポルトガル人は使用料として、年間80貫(現在の日本円で1億5千万
円)を支払っていました。
寛永16年(1639年)、幕府はポルトガル人によるキリスト布教を
恐れて、ポルトガル人を日本から追放しました。
そして、オランダ商館が平戸から移されました。
オランダ商館の使用料は、年間55貫(現在の日本円で1億円)でした
原則として、日本人は公用以外の出入りが禁止されました。
オランダ人もわずかな例外を除いて狭い出島に押し込められました。
例外の一人に、医師・学者としての信頼が厚かったシーボルトがいます。
『長崎くんち』などの祭礼には清国人ともにオランダ人も桟敷席での観
覧が許されていました。
出島での暮らしをオランダ人は『極東の牢獄』と呼んでいました。
安政2年(1855年)、日蘭和親条約締結により、長崎市街へのオラ
ンダ人の出入りが許可されました。
それにより出島の存在意義が失われました。
4年後の安政6年(1859年)、出島のオランダ商館は閉鎖されまし
た。
1904年(明治37年)、出島の周辺は港湾改良工事で埋め立てられ、
島ではなくなりました。
かつての出島の範囲を示すため、道路上に出島のへりを示す鋲が打た
れています。
現在では、出島の復元工事が進行中です。
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■【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
(メールマガジンID:0000234479)
(第739話)(2009年05月17日号)
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・ 作者は、中澤勇二(台湾名 陳澤民)です。
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