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【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
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【歴史・一日一話】2009.06.07 第760話 フランスのメキシコ出兵。メキシコシティを占領。
配信日:2009年06月07日
【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
・第760話 フランスのメキシコ出兵。メキシコシティを占領。
1863年6月7日、フランス軍がメキシコの首都メキシコシティを占
領しました。
1861年、メキシコにベニート・フアレス政権が誕生しました。
国内の経済的混乱を鎮めるために債権の利払いの一時停止を発表しまし
た。
債権国であるフランス、スペイン、イギリスは武力制裁を決議し、翌年
共同でメキシコへ出兵しました。
アメリカは南北戦争のさなかであったため、メキシコに関心をもつ余裕
がありませんでした。
スペイン、イギリスはメキシコと個別に交渉し、1862年末までに撤
兵しました。
フランスだけが戦いを続け、首都のメキシコシティを占領に入城しまし
た。
翌年の1864年、フランスの支援により、メキシコ帝国が成立しまし
た。
オーストリア皇帝フランツ・ヨゼフの弟であるフェルディナント・ヨゼ
フ・マクシミリアンが皇帝に即位しました。
この帝国はフランスの軍事力を頼みとする『傀儡(かいらい)』国家で
した。
メキシコの上流階級や一般国民のいずれの支持も得られませんでした。
ゲリラ活動が活発になり、国内は混乱し、政府の統治は名ばかりでした。
当時はプロイセンの脅威がフランスに及んでいました。
フランスの皇帝・ナポレオン三世は、遠いメキシコよりも本国の安全が
重要であると考えました。
ナポレオン三世は『第一帝政』のナポレオン一世の甥です。
1667年3月、フランス軍がメキシコから撤退しました。
その2ヶ月後、メキシコ皇帝はゲリラに逮捕され、6月19日、銃殺さ
れました。
フランスに抵抗するゲリラには、アメリカが武器、軍資金の援助をしま
した。
これ以降、メキシコに対するアメリカの発言力が強まりました。
それはメキシコへの内政干渉となりました。
メキシコの悲劇の原因は「神には遠すぎ、アメリカには近すぎる」から
であるといわれています。
フランスのメキシコ出兵は、結果として失敗でした。
メキシコの皇帝が銃殺になったことは、ヨーロッパ、特にフランスでは
大変な衝撃でした。
「フランスはメキシコ皇帝を見殺しにした」という非難があふれました。
メキシコ出兵を推進したフランス皇帝ナポレオン三世は、権威を低下さ
せました。
この失敗がナポレオン三世の『第二帝政』の崩壊の遠因となりました。
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■【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
(メールマガジンID:0000234479)
(第760話)(2009年06月07日号)
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・ 作者は、中澤勇二(台湾名 陳澤民)です。
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