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【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
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【歴史・一日一話】2011.03.01第1365話 アドワの戦い。イタリア軍がエチオピア軍に大敗
配信日:2011年02月28日
【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
第1365話 アドワの戦い。イタリア軍がエチオピア軍に大敗
1896年(明治29年)3月1日、エチオピア軍とイタリア軍がエチオピ
アのティグライ州アドワ近郊で戦い、イタリア軍が大敗しました。
19世紀後半までに、アフリカの大部分はヨーロッパの国々により植民地化
されました。
いわゆる『帝国主義』の時代でした。
西アフリカのリベリアを除くと独立国はアフリカの角に隣接するエチオピア
帝国だけでした。
イタリアは植民地争奪戦に出遅れ、それまでに獲得した植民地は資源の乏し
いエリトリアとソマリアのみでした。
この二つの植民地の間にあったのがエチオピアであり、更なる植民地拡大の
ため、イタリアはエチオピアへの侵略を開始しました。
両軍はティグライ州で対峙しました。
1896年(明治29年)2月、対峙が長引いた両軍は補給に支障がでてき
ました。
本国政府の圧力に負け、イタリア軍のリオレステ・バリティエッリ将軍は2
月29日夜、進軍を命じました。
しかし、イタリア軍は複雑な地形に手間取り、相互の連絡にも支障をきたし
ていました。
エチオピア軍を指揮していたラス・マコネンは、イタリア軍の状況を詳細に
観察しており、即座に軍に全面攻撃を命じました。
3月1日朝、はエチオピア皇帝メネリク2世と皇后タイトゥの軍も戦闘に参
加しました。
イタリア軍はわずか1万4千人であったのに対し、エチオピア軍は12万人
を越えていたといわれています。
エチオピア軍はイタリア軍を各所で包囲し、撤退するイタリア軍を追撃し続
けました。
この戦いで、両軍とも1万の死傷者を出しました。
参加兵力の数からいえば、イタリア軍の大敗です。
主力を失ったイタリアは、アディスアベバ条約を締結し、エチオピアの独立
承認を余儀なくされました。
敗北の責任はバリティエッリ将軍に押し付けられ、将軍は罷免されました。
この決戦における勝利により、エチオピアは欧州列強による植民地化を回避
することができたと評価されています。
しかし、一方でエチオピアはこれ以降、列強とともに周辺国を『分割』する
立場に変わりました。
このことは、日清・日露戦争に勝利した日本がたどった道としばしば比較さ
れることがああります。
この戦いは、イタリア軍の弱さをさらけ出しました。
そして、第一次世界大戦、第二次世界大戦で、それが確実に『証明』された
のです。
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■【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
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(第1365話)(2011年03月01日号)
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・ 作者は、中澤勇二(台湾名 陳澤民)です。
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