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【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
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【歴史・一日一話】2010.08.04第1156話 江戸幕府が譜代大名に妻子の江戸居住を命じる
配信日:2010年08月03日
【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
第1156話 江戸幕府が譜代大名に妻子の江戸居住を命じる
寛永11年(1634年)8月4日、 江戸幕府が譜代(ふだい)大名に
妻子の江戸居住を命じました。
譜代大名とは、徳川氏が天下を取る以前から、徳川氏の家臣であった大
名です。
多くは、徳川家康が豊臣秀吉の命令で、関東へ『転封』になってから、
大名に取り立てられました。
それに対して、外様(とざま)大名は、関が原の戦い以前の豊臣政権下
では、徳川氏とは同格であった大名です。
関が原の戦いの勝利で、徳川氏の天下が実質的に確立してから、徳川氏
を主君としたのです。
譜代大名は、外様大名の動静を監視するため、全国各地に分散して配置
されました。
老中、若年寄りなどの幕府の要職は、譜代大名でなければ任命されませ
でした。
譜代大名も外様大名と同様に、幕府から江戸に屋敷を与えられ、そこに
正室(正夫人)と子を住まわせていました。
正室と子は、人質としての意味があったと考えられます。
幕府から見れば、譜代大名も監視の対象であったのです。
譜代大名も、江戸と領国間の参勤交代の義務がありました。
領国に滞在中、正室とは別に側室をおく大名もいました。
側室が生んだ子も、大名の子として認められましたが、正室の子とは、
差がつけられました。
一般には、正室の子が後継者となりました。
したがって、多くの大名は、江戸生まれの江戸育ちでした。
それは家臣も同じでした。
江戸屋敷に勤務する家臣の中には、江戸で生まれて江戸で育ったため、
領国をまったく知らない者もいました。
彼らの目には、参勤交代で江戸に出てくる領国生まれの家臣が『田舎者』
に見えたでしょう。
江戸と領国の家臣の意識の違い、それは『お家騒動』の原因のひとつと
なりうるものでした。
大名の妻子の江戸居住と参勤交代という政策が、大名の『お家騒動』の
原因を作る意図があったどうかは、わかりません。
もし、そうであれば、きわめて巧妙な政策といわねばなりません。
寛永11年(1634年)以降、幕末に薩摩、長州が幕府打倒を宣言す
るまで、幕府に反抗する大名は一人も出現しなかったのです。
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■【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
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