- ホーム
- 広告募集中のメルマガ一覧
- 学校・教育
- 詳細
【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
※メルマガ内容は省略されています。もっと詳しく見る
【歴史・一日一話】2009.05.02 第724話 中国。毛澤東が『百花斉放・百家争鳴』を提起
配信日:2009年05月02日
【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
第724話 中国。毛澤東が『百花斉放・百家争鳴』を提起
1956年(昭和31年)5月2日、毛澤東が最高国務会議で『百花斉
放・百家争鳴』を提起しました。
『中国共産党に対する批判を歓迎する』という主旨の運動であり、これ
を受けて中国国民はさまざまな意見を発表しました。
しかし、この方針は間もなく撤回され、共産党を批判した者はその後の
『反右派闘争』で激しく弾圧されました。
1949年(昭和24年)10月1日、毛澤東は中華人民共和国の建国
を宣言しました。
1953年(昭和28年)、ソ連の独裁者スターリンが死に、後を継い
だフルシチョフが1956年(昭和31年)、スターリン批判を始めま
した。
このスターリン批判によりソ連と中国との路線対立が明らかになりまし
た。
この当時、『建国の英雄』であった毛澤東の権威は揺らぎはじめていま
した。
それは『大躍進政策』が失敗であったからといわれています。
『大躍進政策』とは、短期間で中国の国力を先進国と肩を並べるまでに
引き上げるというものです。
しかし、無理を重ねた結果は、資源と労働力の浪費だけで、それが国民
生活の窮乏につながりました。
このような背景の中で『百花斉放・百家争鳴』が始まりました。
毛澤東がこのような運動を始めた理由の定説はありません。
ある作家は、この運動は反対派をあぶり出すための巧みな罠だったと断
定しています。
最初は、この運動は盛り上がりませんでした。
『もの言えば、唇寒し』であったのです。
やがて、勇気ある知識人が批判を始め、それに同調する空気が生まれま
した。
しだいに共産党に対する批判は強烈な内容に変っていきました。
ついには、党の機関紙である人民日報も党を間接的に批判するようにな
りました。
1957年(昭和32年)5月15日、毛澤東は批判続出の事態に危機
を感じ、新聞に対して党の批判とともに、『右派』に対する批判も行う
ように指示しました。
『右派』とは、共産党を批判した知識人たちに、毛澤東が貼ったレッテ
ルです。
この時、毛澤東は「右派らは有頂天になっている。まだ釣り上げてはな
らない」(つまり「しばらくは、泳がせておけ」)と述べたそうです。
やがて、『反右派闘争』が始まりました。
『百花斉放・百家争鳴』によって、あぶり出された知識人への粛清です。
さらなる悲劇が1966年(昭和41年)から知識人に襲いかかりまし
た。
中国全土で1千万人以上が犠牲となったと言われる『文化大革命』です。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
■【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
(メールマガジンID:0000234479)
(第724話)(2009年05月02日号)
・ このマガジンは『まぐまぐ』から発行されています。
http://www.mag2.com/
・ 配信中止は、こちらからどうぞ
http://www.mag2.com/m/0000234479.html
・ 質問、要望、お問い合わせはこちらへ
mla75516@nifty.com
・ 作者は、中澤勇二(台湾名 陳澤民)です。
・ 相互紹介は大歓迎です!
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@



