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【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
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【歴史・一日一話】2011.03.08第1372話 太平洋戦争。インパール作戦
配信日:2011年03月07日
【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
第1372話 太平洋戦争。インパール作戦
1944年(昭和19年)3月8日、ビルマ(現在のミャンマー)駐留の日
本軍が『インパール作戦』を開始しました。
『インパール作戦』とは、インド北東部のアッサム地方にあるインパール攻
略を目指す作戦の通称です。
インパール攻略の目的は、当時の中国の正統政府であった国民党政府が臨時
首都としていた重慶への補給ルートを遮断するためでした。
1936年(昭和11年)7月7日、盧溝橋事件から始まった日本と中国の
全面戦争は日本軍が首都・南京を占領しても終わりませんでした。
蒋介石が率いる国民党政府は、四川省の重慶に移転し、アメリカ、イギリス
からの軍事援助によって抵抗を続けていたからです。
蒋介石を援助する補給ルートを『援蒋ルート』と呼んだのです。
この作戦の目的は壮大でしたが、実際の作戦計画はきわめてお粗末でした。
作戦部隊は、川幅約600メートルのチンドウィン川を渡河し、さらに標高
2000メートル級の山々の連なる、急峻なアラカン山系のジャングル内を
長距離進撃しなければなりません。
それなのに、補給は全く軽視されていました。
日本軍は、この作戦に3個師団、8万6千人を投入しました。
日本軍は3方向よりインパールを目指して作戦を開始しました。
作戦が順調であったのはごく初期のみで、ジャングル地帯での作戦は困難を
極めました。
食糧・弾薬共に欠乏し、各師団とも前線に展開したころには戦闘力を既に消
耗していました。
4月になり、雨季が始まりました。
インド・ビルマ国境のアラカン山系は、世界で最も雨量の多い地域です。
イギリス空軍よりも雨によって、日本軍の補給線は断ち切られました。
空陸からのイギリス軍の強力な反攻が始まると、日本軍の前線では補給を断
たれて飢える兵が続出し、死者、餓死者が大量に発生する事態となりました。
飢えや戦傷で衰弱した日本兵はマラリアに感染する者が続出し、作戦続行ど
ころではなくなりました。
退却戦になると、将兵は飢えに苦しみ、陸と空からイギリス軍の攻撃を受け、
運悪くマラリアや赤痢に感染した者は脱落していきました。
退却路には、餓死者の白骨死体が横たわり、それを日本兵は『白骨街道』ま
たは『靖国街道』と呼びました。
この作戦は日本軍参加将兵8万6千人のうち戦死者3万2千人、戦病者は4
万人以上(一説には餓死者が大部分)を出して、7月1日に中止されました。
しかし、敗戦に至るまでこの作戦の失敗の責任が明らかにされることはあり
ませんでした。
日本軍は最前線は重視しましたが、後方、特に補給は全く軽視していました。
補給困難による物資不足は『精神力』で克服しようとしたのです。
その最悪の作戦が『インパール作戦』でした。
『インパール作戦』は無謀な作戦の代名詞となったのです。
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■【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
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(第1372話)(2011年03月08日号)
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・ 作者は、中澤勇二(台湾名 陳澤民)です。
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