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【歴史・一日一話】2011.02.27第1363話 『大日本史』の編纂が始まる

配信日:2011年02月26日

【歴史・一日一話】(毎日2分で読める歴史)
第1363話 『大日本史』の編纂が始まる

明暦3年(1657年)2月27日、徳川光圀が『大日本史(だいにほんし)
』の編纂に着手しました。

大日本史は、神武天皇から室町時代初期の後小松天皇まで(厳密には南北朝
が統一された1392年(元中9年/明徳3年)までを区切りとする)の天
皇の治世を記した日本の歴史書です。

光圀死後には、水戸藩及び水戸徳川家の事業として執筆・校訂が継続されま
した。

完成は249年後の明治39年(1906年)でした。 



光圀が歴史書編纂を志した背景には、若い頃、中国古代の伯夷・叔斉の故事
に感激し、中国の歴史書『史記』の愛読があるといわれています。

伯夷・叔斉の故事とは、後継者選びで、兄が弟に後継者の地位を譲ったこと
です。

光圀は、兄の頼重(よりしげ)に代わって水戸徳川家第二代の当主になりま
した。



頼重は、寛永16年(1639年)、常陸・下館(現在の茨城県筑西市)5
万石、寛永19年(1642年)、讃岐・高松(現在の香川県高松市)12
万石に封じられ、讃岐松平家の始祖となりました。

光圀は、自分の後継者として、兄の長男である綱方(つなかた)を自分の後
継者としました。

しかし、綱方は家督相続前に死去したたため、次男である綱條(つなえだ)
が水戸徳川家を相続しました。

これらの処置は、伯夷・叔斉の故事にならったといわれています。



この大日本史編纂が水戸藩に与えた経済的負担は大きく、そのため領民は税
負担に苦しんだといわれています。

水戸藩は、水戸学の影響で京都の朝廷を崇敬するため、幕府からは警戒の目
で見られていました。

幕府の考えでは、徳川御三家を含む大名は、徳川将軍だけに忠誠、崇敬すれ
ばよいのです。

京都の朝廷を崇敬することは、将軍を軽んじる行為と見ていたのです。

幕末の動乱で、水戸藩は『尊王攘夷』を掲げて登場しました。

しかし、藩内の内紛が激しくて意志統一ができず、その後の歴史に貢献する
ことができませんでした。

ちなみに最後の将軍・慶喜は水戸徳川家の出身です。


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